前回ダウンタウンの浜田さんの話が出たので、「決して笑ってはいけない話」をひとつ。

リオ・デ・ジャネイロのとある高級ホテルで行われた国際学会でのこと。白人男性がホテルに近づくとドアマンは「Hellow, How are you?」と声を掛けました。その男性が「Olá, tudo bem.」と答えると「あぁブラジル人でしたか」と言ったそうです。その時後ろから来た黒人にドアマンが「荷物はそこに置いといてくれ。すぐ応対するので」とポルトガル語で言うと、その男性は首をかしげました。彼はアメリカ人の著名な学者だったのです。

お分かりでしょうか?ドアマンは白人をアメリカ人の学者だと思い、黒人をブラジル人の付き人だと「自動的に」思い込んでしまいました。この「自動的に」というところがミソなのです。多くのブラジル人は、その人の肌の色で「自動的に」その人の能力や社会的地位を連想してしまうように脳のプログラムに書き込まれてしまっています。これが人種主義(racismo)の正体です。

ブラジルでは、医者や弁護士、国会議員、大学教授、ニュースキャスターや映画・ドラマの主役など、社会的に影響力があって給料も高く、人々から尊敬を集める職業はほとんど白人によって占められています。いっぽうで清掃人や肉体労働、家政婦などの圧倒的多くは黒人です。このように言うと決まって「貧乏な白人だってたくさんいますよ」という人がいます。しかし同じ貧乏人でも、同じ能力であれば企業の面接で先に採用されるのは白人ですし、経営が傾いて先に解雇されるのは黒人です。

そうそう、ここでもう一つ「笑えない話」を思い出しました。

ある研究者が、「あなたは白人であることで得をしてると感じたことがありますか?」という調査をあらゆる階層の白人に行いました。すると白人のホームレスは「自分は物乞いにショッピングセンターに入れる」と答えたそうです。つまるところ、どこまで行っても黒人は不利な立場に置かれているということですね。

このように肌の色が、あたかも人間としての優劣であるかのように扱われる社会では、誰もが黒い肌、黒人的な容姿を忌み嫌い、より白くなりたいと願うようになります。私が日本語字幕を付けたガビ・オリヴェイラさんの動画で彼女が語るのは、「平たい鼻」「縮れた髪の毛」「突き出たあご」「歯ぐきの色」などネグロイドの特徴が、常にからかいの対象にされ、黒人の子どもたちはコンプレックスを抱えて育つという話でした。

このような文脈でネガ・マルーカのことをとらえ直してみてください。

「ネガ・マルーカはただのユーモアだよ」と思われる方は、なぜそもそも白人が黒塗りをするだけで笑いになるのかを想像してみたことはありますか?私たちは何に面白みを感じるのでしょうか?黒塗りをしたコメディアンが演じるのは、決まって飲んだくれで、怠け者で、文法的に不正確な言葉を話し、まぬけなキャラクターです。要は演じる方も観客の方も、黒人に対する差別的なイメージを共有しているからこそ、それが「笑い」として成立してるんです。もし観客が同じような偏見を持っていなければ、何が面白いのか伝わらず、コメディになりませんよね。つまりネガ・マルーカで笑えるというのは、差別的な土壌があって初めて通用する話なのです。

だからいくら演じる人に「悪気はない」とか「差別的な感情はない」と言ってもダメなのです。この問題は個人的な感情の問題だけではなく、社会的な構造の問題だからです。ネガ・マルーカを許してしまうこと自体が、差別的な社会のあり方を補強してしまうことになるのです。

さらにネガ・マルーカは、爆発したような大げさなアフロヘアー、不自然に口紅をはみ出した唇など、黒人の容姿を茶化しています。それを笑いものにするたびに、私たちは黒人たちに結びつけられたネガティブなイメージを再確認し、それを再生産することに協力してしまっていることになります。その結果、ホンモノの黒人女性を見て「あっ、ネガ・マルーカだ」などとのたまう無邪気な白人の子どもたちが出てきたりするのです。自分のお母さんや、妹や恋人がネガ・マルーカだと言われる息子、兄、彼氏の気持ちを想像してみてください。もちろん言われた本人の苦痛はいうまでもありません。それでも「ただのユーモアだよ」と言えますか?

黒人の容姿はコスプレではありません。都合のいいときだけ黒人になって、黒人に対する偏見を元手に笑いを取って報酬を得る。あとはシャワーを浴びればいつでも白人という安全圏に戻れる。これがネガ・マルーカです。

最後にもうひとつだけ。上に見たような批判に対し、「いやいやネガ・マルーカは黒人に対するhomenagem(敬意、尊敬)だ」という人たちがいます。これこそ文字通りの「決して笑ってはいけない話」ですが、そのような人には「敬意」という言葉の意味を学びなおしていただく必要があるかと思います。

さて、これまで見てきたネガ・マルーカの話と志村けんのバカ殿が根本的に違うのは、もう皆さんご理解いただけますよね。顔に色を塗ってギャグをするという共通点だけで、2つを同じ土俵で論じるわけにはいきません。念のため補足しておけば、バカ殿が笑い飛ばしているのは、支配者のトップたる将軍ですね。抑圧される側の民衆が権力を茶化すのは、それこそユーモアの王道であって、何の問題もないどころか、最も健全なユーモアのあり方だとも言えます。

前回の記事「ネガ・マルーカにNOを!ブラジルを愛すればこそ」には多くの方から反響をいただきました。多くは「デリケートな話題をよくぞ取り上げてくれた」という賛意のものでしたが、それにまじって「悪意はないのではないか」「所詮はユーモアなのだから、これを楽しめるセンスを磨くべき」という意見もいただきました。どちらにせよ、コメントをいただいた皆さん、本当にありがとうございます。別に読み流してそのままにしておけるものに、あえて自分の考えを表明する手間を惜しまないということは、コトを前に進めていくにあたって非常に大切なことだと思います。今後ともブラジルのいいところ、よくないところ両方からたくさん学んでいければと思います!よろしくお願いいたします。