こういう物々しいタイトルをつけると見る人が増えるので、ちょっと調子こきましたが、今日の練習でした話を少し膨らませてシェアしたいと思います。

日本では少しずつ練習できる環境も戻りつつありますが、ブラジルではまだまだ外出が厳しく制限されている状況が続いています。結果として今回のコロナ自粛は、様々な形で私たちにカポエイラを見つめなおす時間的なゆとりを与えてくれています。

いきなり自分を殺してしまわないまでも、たとえば3年後の自分はどんなカポエイラをしているんだろうか、していたいんだろうか、とそういう問題です。今日はそれをグループのメンバーに問いかけてみました。

趣味としてカポエイラを続けていくという人は、3年後自分はどんなジョーゴをしているのか、バテリアでどの楽器を弾いているのか、ラダイーニャは歌えているのか、ポルトガル語も少しは分かるようになっているのか。

カポエイラを教える立場になりたいと考えている人は、どういうタイミングで、どこで自分のスペースを持ちたいのか?それには何が足りなくて、いつまでにそれらをするのか?それまでに何回ブラジルの地を踏めているか、ポルトガル語でブラジル人のメストリたちと日常会話ではなくカポエイラについて話せるようになっているか、生徒たちがしてくる質問にきちんと答えられるようになっているか?

グループとしてはどうか?メンバーだけでホーダを囲めるだけの人数が集まっているか、グンガを任せられるメンバーは何人育っているか、ブラジルに行ったことのあるメンバーは何人くらい増えているか、カポエイラの歴史や社会問題などについて話し合えるようなコンディションは整っているか、それまでにメストリは何回来日しているか?

日本のカポエイラはどうなっているか?きちんとメストリについたグループが増えているのか、youtubeで学んでホーダを渡り歩く人のほうが多数派になっているのか、スポーツ、エクササイズとしてだけ広まっていくのか、あるいは文化的な側面、社会問題とのつながりにもヴィジョンが広がっているか?

5年後、10年後、20年後はどうか?

年齢的にもとっくに人生の折り返し地点を過ぎた私としては、自分の死んだ後のグループのこともチラリとは考えますよ。子供が継ぐわけでもないし、では今の生徒の誰かが引き継ぐのか?ん~、それも今のところなさそうだ、となればその時点でおしまいです。残された家族に迷惑をかけないためにも、適当なタイミングで道場もたたまなくてはいけないでしょう。

でもこれは何も私だけの問題ではないわけです。非常に不謹慎ですが、いずれは現実となる話なので、あえて書きますが、ちょっと想像してみてください。例えばメストリ・カミーザが亡くなった後のアバダ・カポエイラ、メストリ・スアスナが亡くなった後のコルダゥン・ジ・オウロ、メストリ・ジョアン・グランジが亡くなった後のアンゴラ・センター、メストリ・クラウジオが亡くなった後のアンゴレイロス・ド・セルタゥンはどのような形になるのでしょうか?

いっぽうでメストリ・アナニアスが亡くなった後、ジョアン・ピケーノが亡くなった後のグループはどうなったでしょうか?レッスンにせよ、ホーダにせよ、メストリがいた時と亡くなった後では、同じわけはありません。今日私たちが仰ぎ見ているメストリたちは今後20年から30年でほぼ全員いなくなります。そのときにカポエイラはどんな形で続いているのでしょうか?自分自身はその時、どんな立場で何をしているのでしょうか?

メストリたちの訃報に接するたびにコントラ・メストリ・シャンダゥンは私たちに言います。A nossa responsabilidade só aumenta(我々の責任は大きくなるばかりだ)。

記事のタイトルをストレートに受け取られると困りますので、もう一度確認しておきますが、私がここで言いたいのは、自分が死んでもグループが存続するように今から備えておこうということではなく、これから10年、20年後のカポエイラ界全体をイメージして、私たちがどんなバトンを引き渡せるのか、もう一度考えてみよう。さらに、残された時間を逆算して、今やっておかなければならないことは何かをクリアにしようということです。

私の場合、コロナの影響で自宅勤務になり、今までの通勤時間をこうしてカポエイラの記事やポルトガル語の動画制作に充てられています。もちろん今のコロナが長引いてほしいなどとは思っていませんが、今のうちにまとまったインプットをしておかないと、元の生活リズムに戻ったら今のようにはいかないなという一抹の焦りも感じています。災いがもたらした時間的なゆとりを利用して、改めて今後の自分のカポエイラの進路や速度を見直しているところです。

※今朝がたfacebookで、バイーア南部の町イタカレのカポエイラのパイオニア、メストリ・ジャマイカの訃報が流れてきました。これでまた一つ私たちの責任が大きくなりました。