今日の話は、前の記事「コロナ以後のカポエイラは変わると思いますか?」にいただいたボハッシャさんの切れのあるコメントから始めさせてください。

カポエイラがずっと何と戦ってきたかって、圧政とか抑圧とか、社会の構造とか仕組みとか、偏見やステレオタイプ、差別とかでグループとか関係なく全てのカポエイリスタに共通してるんじゃないかなと思うんです。

なら、みんなで知識や技術を共有しあっていく方がカポエイラのアイデンティティやコミュニティがより強いものになるんじゃないかなと、

今日私たちカポエイリスタの持つべき心構え、掲げるべき目標として、全くその通りだと思いませんか?「カポエイラはただ足を振り回して、相手をやっつけるのを目的としたゲームじゃない。カポエイラのluta(戦い)の真の相手は社会の不平等だ」と言えば非の打ち所がないように思えます。私もずっとそう信じて疑わなかったのですが、あるフィルターを通すと、これが空虚で白々しいきれいごとにしか聞こえないという、そういう視点があることを知ったのは比較的最近のことです。

その視点というのは「apropriação cultural」。

ポルトガル語で「アプロプリアサゥン・クートゥラウ」と発音します。日本語ではあまりいい訳語が見つからないのですが、ウィキペディアでは「文化の盗用」となっていました。この用語が実際に意味するところは「盗用」という言葉ではすくいきれていないような気がしますが、まぁとりあえずここでも「文化盗用」と呼んでおくことにします。

そしてこの「文化盗用」は、ブラジルでも折に触れて議論が噴出するトピックです。それは今回のフェハドゥーラ動画をめぐる炎上でもそうですし、近くは3年前パラナ州のクリチバで頭にターバンを付けていた白人の女性が、黒人の女性にそれを取るように言われました。それがメディアで報道されると、ブラジル中のブロガーやyoutuberたちを巻き込んで、文化盗用とは何か?それは意味のある主張なのか?について大きな議論が沸き起こりました。

カポエイラの文脈で見るとこういうことになります。

カポエイラはアフロ・ブラジル文化の産物であり、それを生み出したのは奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々とその子孫たちだった。ここまでは満場一致です。ところが今日、ブラジルの大きなカポエイラグループを率いているのはことごとく白人のメストリたちだし、しっかりしたスポーツクラブ、私立の学校でカポエイラを教えているのは白人のほうが多い。さらにはyoutubeなどのテクノロジーを最大限に活用して様々なイベントを企画し、自分たちのプロジェクトを宣伝し、そこから大きな利益を得ているのは白人の方だ。さらにはそのやり方が、アフロ・ブラジル的要素、黒人の主役的役割をどんどん軽んじることで、オリジナルの文化的意味を骨抜きにし、カポエイラを自分たちの都合のいいように商品化しているという批判です。

こういう批判は言うまでもなくカポエイラに限ったことではありません。バイーアのアシェ・ミュージックにしても売れてるのはほぼ白人ですよね。もしマルガレッチ・メンデスが白人だったら、ダニエラ・メルクリは出なかっただろうと言われています。サンバのカーニバルもそうですね。あんな高額なファンタジア(衣装)を買えるのは誰でしょうか。あるいはアメリカ合州国におけるロックの歴史を見ても、黒人が生み出したものをエルビス・プレスリーが、ヒップ・ホップでもエミネムがかっさらってしまったと言われます。

ようは黒人が抑圧された境遇で生み出したアートや宗教を、彼らを支配していた側の白人が盗用し、その白人のバージョンが社会的に受け入れられて成功するということがあらゆる場面で起こってきました。同じことを黒人がしているときは野蛮だとか見苦しいなどと評されるのに、白人がやったとたんにクールだ!となる(例えば髪の毛のドレッドがその例です)。そこでは黒人たちによって大切にされていた文化的文脈、宗教的意味あいなどは考慮されず、たんにスタイリッシュだからエキゾチックだからという、まったくリスペクトを欠いた取り上げられ方がされます。

文化盗用、アプロプリアサゥン・クートゥラウ。いかがでしょうか?なんとなくイメージ、お分かりいただけたでしょうか?

カポエイラの話に戻りますが、今回のフェハドゥーラの謝罪動画についた数百件のコメントの中でも、「古いカポエイラは死んだ。コロナにやられた」という彼の言動は、古いメストリたちの存在価値を否定した、白人・中産階級による文化盗用にほかならぬという断罪のされ方が多く見られました。

そしてこの記事の冒頭で見た「美しい理想」についても、現実に黒人のカポエイリスタたちが置かれた状況に正面から向き合うことなく、いきなり世界とか人類の平等、連帯と言われても、しょせんは社会的経済的にすでに安定した位置にいる白人たちが、自分たちの商品を売るために吐いたきれいごとにしか映らないという見方が黒人の中から出てくるわけです。

では白人のカポエイリスタが黒人カポエイリスタの状況に向き合うとはどういうことか?それは奴隷制から続く構造的な人種主義(racismo estrutural)とそれによって自分たちが享受しているさまざまな恩恵(privilégio)を認めるところからスタートするしかないでしょう。

ひるがえって私たち日本人カポエイリスタの立ち位置(lugar de fala)はどうなるでしょうか?これは白人と黒人の間だけの問題で、私たちには関係ないとしていいでしょうか?私たちも実は文化盗用しちゃってないでしょうか?一連の問題にどのように向き合うのがいいと思いますか?次のお題はこれです。またみなさんのお考え、教えてください!

前回の記事に寄せていただいたたくさんのコメント、本当にうれしかったです。どれもうわべの言葉ではなく、それぞれのご経験から実感をもって書かれているのがよく伝わってきました。ありがとうございました。

そしてこういう話題、ちょっと小難しくてとっつきにくいと思われがちですが、日本のカポエイラが世界に後れを取らないためにも、とくにグループを引っ張っているようなリーダーの方々は知っておくべき問題だと思います。こういう話に関心のありそうな人、こういう話し合いに巻き込んであげたい人をご存じでしたら、シェア、拡散をよろしくお願いします!こういうパポエイラ(カポエイラに関するパポ・おしゃべり)のホーダを少しずつ大きくしていけたらいいですよね!