「たとえビーチに人がいなくても太陽はそこにいて照らしていなくてはならない」

前回の「カプー20周年に思う」の記事で、このメストリ・プリーニオの言葉に結構反響をいただきました。とくに指導者の方々ですね。カポエイリスタではなく、サンバをしているという方からも気持ちを代弁してくれたとのコメントをいただきました。

しかし実際のところ指導者も生徒もカポエイラに対する情熱も取り組むペースもそれぞれなんですよね。当たり前のことです。たとえ気持ちがあっても仕事や家の事情がそれを許さないということだってもちろん出てくるわけです。それを杓子定規に「おまえにとってカポエイラの優先度はその程度か」と切り捨てるのは、私たち指導する者の傲慢だと思います。

それにしても、です。

では、生徒は自分の気が向いたときだけ練習に顔を出すだけでいいのか。いや、それだけでもないよ、というのが今日の言いたいことです。そういう意味で、案外見落とされがちな視点を一つだけ確認しておきたいと思います。

それは、カポエイラの練習に行くということは、その人本人が上達するという目的以外に、そこに集まる仲間たちに協力するという側面があるという視点です。たき火に薪が一本余分にくべられるようなイメージですね。とくにうちのような少人数のグループでは、一人の存在というのがものすごく大きな意味を持ちます。「数は力なり」とは言ったもので、参加者が一人増えることで場のエネルギーは数倍にアップします。その人が参加することで、練習相手が一人増え、バテリアの楽器が一つ増え、それによってジョーゴできる人が一人増えるわけです。

つまり生徒としては、自分が練習に行くことは自分のためであることは言うまでもなく、同時にグループに貢献するためでもあると言えることになります。「自分のためだけじゃないんだ、仲間のためでもあるんだ」という視点を持つことで、テンションの低い日も易きに流れる気持ちに歯止めをかけられるかもしれません。

同じ考え方は楽器の練習にも当てはめることができます。私を含めておそらくほとんどの方は、当初、動きに関心を持ってカポエイラを始められたと思います。では音楽に関心がないからビリンバウの練習をやらなくていいかといえば、そうもいかないわけですね。その最大の理由は、その人が楽器を交代できるようになることで、ジョーゴを楽しめる仲間が一人増えるということです。自分がビリンバウを交代できるようになれば、みんなが満遍なくジョーゴを楽しめる状態に、グループ全体が一歩近づけるというわけです。カポエイラにおける楽器の練習は、個人の好き嫌いに任せられるものではなく、メンバーに対する思いやり、グループに対する貢献という視点も忘れられてはいけないと思います。

おまけですが、私たちアンゴレイロス・ド・インテリオールで練習の最初と最後に唱えるフレーズがあります。

Eu seguro sua mão na minha(私はあなたの手を取ります)

para que juntos possamos fazer(みんなでいっしょにするために)

tudo aquilo que não podemos fazer sozinhos(ひとりではできない全てのことを)

このフレーズを全員で手をつないで唱えてから練習が始まります。ちょっと素敵じゃないですか?(ちょっぴり自慢)。カポエイラって「集団競技」なんですね!