2週間半におよんだコントラ・メストリ・シャンダゥンのワークショップも終わり、私の仕事も平常に戻って、ようやく以前のリズムでブログに向き合えるようになって来ました。

さて、前回は「マンジンガとは何か?」というテーマで、マンジンガという言葉の由来や現代のメストリたちが考えるマンジンガのイメージをご紹介したところで終わっていました。今日は、その記事のfacebook上の投稿にいただいた、Beija-Flor Mieさんのズバリ核心を突いたコメントから始めたいと思います。

「日常生活でのマンジンガ、さしずめ『生き抜く知恵・力』でしょうか。」

まさにその通り。ここにすべてが言い尽くされていると思います。ホーダの外の世界におけるマンジンゲイロとは、目先の利益のために相手を欺いたり、自分だけの得を求める人のことではありません。コントラ・メストリ・シャンダゥンは「争いを避けること」、メストリ・ジョアン・ピケーノは「真に強い男とは友達の多い男だ」という表現を使いますが、私の希望も練りこんで定義付けるなら、真のマンジンゲイロとは、他人とむやみに衝突することなく(できればすべてを味方に付けながら)、この世をハッピーに生き抜く術を身に付けた人のことです。

争いを避けるには、自分の感情をコントロールする必要が出てきます。イライラ、見栄、嫉妬といったネガティブな感情の高まりを抑えきれないとき、怒りや不安の矛先は往々にして相手に向けられます。それを自分のうちに収めて、平静でいられるようになるには、いわゆる人格者にならないといけないわけです。

面白いことに、今日偉大なメストリとみなされる人たちがカポエイラを始めた動機を見てみると、みな判で押したように同じであることに気づきます。そうです、最初は誰もがケンカに強くなりたかったのですね。メストリ・ジョアン・ピケーノは無頼漢(valentão)になりたかったと言っていますし、メストリ・ブラジリアも、カポエイラを習っていた友人にケンカで負けたことがカポエイラを求める動機になったと語っています。でも彼らはじきにその無意味さに気づき、別の価値を見出していきます。このあたりは武道の達人と言われる人の修業プロセスにとてもよく似ていますね。彼らは、本当の敵は自分の外にではなく内にあること、己のコントロールこそが重要だと気付きます。結果として、争いを避けるという方向を求めるようになるのです。

本来殺傷の技術であった武道の今日的意義とカポエイラのそれは多くの点で重なると私は考えています。

合気道家で哲学者の内田樹さんは、武道修業の目的は「危機的状況を生き延びるための能力」を高めることにあるとして、剣を器用にさばく能力よりも「どこでも寝られる」「何でも食える」「誰とでも仲良くなれる」能力のほうがはるかに有用だと言っています。これを読んだとき、私の中では真っ先にシャンダゥンのイメージが浮かびました。その後で、あの人もこの人も、と幼少期を路上で過ごした多くのメストリたちが思い浮かびました。これこそブラジルのストリート・チルドレンたちが身に付ける生きる力そのものではありませんか。

Beija-Flor Mieさんのコメントは次のように結ばれています。

「コツコツ真面目に誠実に、という日本的感覚とは異なっているところが、なかなか身につけるのが難しく、また憧れるところかな、と思います。」

マンジンゲイロになるための資質や環境があるとすれば、それはまず確実にブラジルのストリートにあるような気がします。であれば私たち日本人カポエイリスタにとっては、「なかなか身につけるのが難しく、また憧れるところ」になるのも致し方ないところですよね。

私の短く偏ったブラジル経験から見て感じるのは、ブラジル社会は「お化け屋敷社会」だということです。ブラジルで生活している人は、社会のいたるところにオバケが隠れていることをはじめから分かっています。次の曲がり角にオバケが隠れているんじゃないかという警戒心を持っているから、慎重に歩みを進め、おどかされないように角を遠巻きに曲がろうとします。びっくりしないようにだまされないようにという心の準備を常に持って生活しています(というか、生活せざるを得ないのです)。なので仮にオバケと鉢合わせることがあっても「ほらね」「やっぱりね」でやり過ごせるのです。

それに対して日本社会は平和ボケ。日本人は騙さないだろうという、根拠のない信頼感が私たちの中にはあって、実際にそれがかなりの程度機能しているという現実があります。たとえば食品でも衣類でも電化製品でも、日本製なら安心、日本人の作ったものなら信頼できると多くの人が考えています。日本人は不正を働かない、日本人は裏切らないという信仰。こういう信頼感が持てることは、言うまでもなく誇らしいことですし、それこそ他国の人々がうらやむ美徳です。反面、そのコストとして、裏切りやイレギュラーな局面への対応能力の低さ、そもそも不測の事態へのアンテナの鈍さという脆弱性を抱えている点は否定できません。要するにピュアでイノセント。そのいい面と悪い面のうち、悪い面が日本人をマンジンゲイロから遠ざけているのです。

強い者が生き残る。弱肉強食で無慈悲なストリートという空間では、お人よしでは生き延びられません。おとといから何も食べていない、お腹をすかせた子供たちをどうするか。ストリートでは、文字通り生死をかけた戦いが繰り広げられています。そこで肉体的な力に恵まれていないものたちは、発想力、演技力、話術に磨きをかける必要が出てくるでしょう。命をつなげるのに必死な全人格たちがしのぎを削っている場がストリートです。

19世紀後半から20世紀の中ごろにかけて、カポエイラたちの舞台はストリートでした。カポエイラを学ぶのも、ホーダをするのも、警察に捕まるのもストリートでした。そこで生き残るすべての必要性をふまえて、カポエイラという「武器」を身につけた者たちがいて、そのなかでさらに信仰や祈祷の「魔術」をまとった者たちがマンジンゲイロとして知られるようになったのだと思います。(つづく)

番外編

本稿のfacebookでの投稿に、私の師匠コントラ・メストリ・シャンダゥンが寄せてくれたコメントを翻訳して紹介します。

Se dominar para poder dominar
Ser educado com quem não tem educação
Respeita quem não respeita
Amar a todos uns perto e outros longe
Mandinga é a arte de viver bem com todos principalmente consigo mesmo


他人を意のままに動かすために、まず己を律すること。
礼儀をわきまえない者に対して礼を尽くすこと。
自分を尊重しない者を尊重すること。
ある者は近くある者は遠く、すべての人を愛すること。
マンジンガとはすべての人々(とりわけ自分自身)とよりよく生きるアートである。