いよいよカポエイラノススメも本丸に突入です。マンジンガについてです。私としてはカポエイラを勧める理由について、「マンジンゲイロになろう」という点を結論のひとつとして想定しています(あっ、言ってしまいました!)。

それにしても想定というのは少し頼りないですよね。でも私も原稿を書きながら日々さまざまな気づきがありますし、言おうとしていたことを常に修正しながら書いているところがありますので、申し訳ないですが私自身も確かな着地点をもたないまま進んでいます。

ともあれ、結論を言ってしまったのですから、あとは外堀からじっくり埋めて行きましょう。マンジンガとは何か?

マンジンガとは、呪術、魔法などと訳されることもありますが、なかなか言葉で説明のしにくいカポエイラの神秘的な要素です。もともとマンジンガという名称は、アフリカ北部のイスラム系部族の名前でした。彼らも奴隷貿易でブラジルに連れてこられたわけですが、読み書きや数字も理解できて、主人であるポルトガル人よりも文化的レベルは高かったといわれています。そのため主人たちにはマンジンガ族が呪術使いのように見えたのかもしれません。そこから呪術的な行為やその効果のことをマンジンガというようになりました。

マンジンガ族はコーランの書かれた紙を入れた小さな袋を首からかけていました。それがパトゥア(patuá)の起源です。他の部族の黒人たちは、マンジンガ族の力はパトゥアに由来すると考えていたので、カトリックの祈りが書かれた紙や聖人にゆかりのある物質を入れたお守りを首から下げるという風習が広まりました。のちにカンドンブレやウンバンダの最初のテヘイロ(集会所)が設立されたときも、信者たちはオリシャ(カンドンブレの神々)や精霊の力を宿したパトゥアを欲しがったと言われています。

マンジンガを使える人のことをマンジンゲイロといい、昔のカポエイリスタの中にはマンジンゲイロとして知られた人たちが多くいました。昔といっても、けっこう最近ですよ。今からせいぜい50年から100年前の話です。で、そのもっとも有名なのがビゾウロです。

数十人の警察に取り囲まれ、後ろは壁、もはやこれまでと思われたときにカブトムシに姿を変えて飛び去ったとか、拳銃で撃たれたのにまったく無傷だったなどの伝説が語り継がれてきました。もちろんこれらをそのまま実話として取るわけには行きませんが、一般の人が到底切り抜けられないような状況を切り抜けてしまうのを見て、まるで魔術師のように人々が思ったということだろうと思います。

正確には当時マンジンガという場合、カポエイリスタだけの専売特許ではありませんでした。おそらくビゾウロのインパクトがあまりにも大きかったためでしょう、しだいにカポエイリスタの特別な能力がマンジンガの代名詞のようになっていきます。さらに今日ではカポエイラにおいて相手を欺くことを目的とする行為全般に拡大解釈されるようになり、ジョーゴの中で相手をかく乱するためのジェスチャーを意味したり、さらには、嘘をついたり、話をはぐらかしたりする行為までをマンジンガと呼ぶようになっています。

たとえばメストリ・ジョアン・グランジがジンガの中でする、高速で田植えをするような、両手で交互に床に触れるジェスチャーがマンジンガと呼ばれるようになりました。その流れで、カポエイラ・アンゴーラの練習の中で、単調なジンガをしている生徒に「もっとマンジンガをしなさい」と指示が出されれば、「もっと手や体全体を使ってトリッキーな動きをしなさい」という意味になります。

あるいは「今度のバチザード来てくれよ」「あぁ、きっと行くよ」「本当にだぜ。マンジンガなしで頼むよ」なんて会話が聞かれます。「マンジンガなしで」というのは、ポルトガル語で「sem mandinga」と言いますが、この場合は「リップサービスでない、正直な対応」を相手にお願いしていることになりますね。

「相手を欺く」などというとマンジンゲイロ=悪い人のようなイメージをお持ちになるかもしれませんが、そうではありません。少なくともカポエイラの文脈では、むしろ逆なんです。もともと魔術的な意味合いを語源とする言葉ですから、どうやったのか分からないけど上手いよけ方をしたとき、とても人間技とは思えない、いわゆるスーパープレイが見られたときに、「あいつはマンジンゲイロだ」という言い方がされます。

さらにマンジンガという資質は、たんにカポエイラの技術にとどまらず、日常生活にまで広がってとらえられます。仮にホーダの中で素晴らしいジョーゴを繰り広げるカポエイリスタがいても、普段の生活の中で抜けたところがあれば、マンジンゲイロとはみなされません。一見腰が低く、下手に出ながらも、最終的には自分の要求を通してしまう、そんな交渉術を、戦闘の中だけでなく、日常生活においても発揮できる人がマンジンゲイロです。

では現代のメストリたちはどう考えているのでしょうか?カポエイラの世界への普及をテーマとしたドキュメンタリー映画『マンハッタンのマンジンガ(Mandinga em Manhatthan)』のエンディングで、出演したメストリたちが「マンジンガとは何か?」という質問にそれぞれの考えを述べている箇所があります。ほかにマンジンガについてメストリたちの考えがまとまった形で表明されているメディアを知らないので、とりあえずこの部分を書き起こしてみたいと思います。

メストリ・アラバマ:1000人に一人がそれを身につけて生まれてくる幸運に恵まれている。マリーシアのこと

メストリ・ジョアン・ピケーノ:多くの人はオラサゥン(祈祷、まじない)だと考えている。行こうとしていかず、相手が油断したところに行くこと

メストリ・ボラ・セッチ:目に見えないものに対する知識。理論的な知識を越えるもの。

メストリ・カミーザ:ジョーゴの魂

メストリ・セーザー:謙虚さを持つことがマンジンガだ。

メストリ・サシ:マンジンゲイロは常にパトゥアーをもっていて、自分が加護を受ける聖人が誰か分かっている。

メストリ・デカーニオ:カポエイラのネガッサ。永続的なうそ。カポエイラの目に見えない部分。魔法のようにも見える。

メストリ・アウグスト:その人独自のジンガ

メストリ・アメン:状況に柔軟に応じられ、通常では考えられないようなことを起こす人

メストリ・シャレウ:ジョーゴの仕方、遊戯的な生き方uma forma ludica de viver

メストリ・インジオ:嫌いな相手に「おぉ友よ」と親しげに呼びかけられること

メストリ・ルーア・ハスタ:ビゾウロは彼の生きた時代の中でマンジンガを発揮した。突然消えるなど。多くの警察に囲まれて、逃げ道もない状況で、突然姿を消してしまう。そこから逃げ切れてしまうこと。

メストリ・バンバ:夜中の零時にオロドゥンのショーが終わった後リベルダージからバスに乗ること。

メストリ・コブリーニャ:生き方を知ること。少ないものから多くのものを作ること。マンジンガは人生そのもの

メストリ・ジガンチ:カポエイラそのものがマンジンガだ。血が出るまで歯ぐきをつついて、歯が痛いといったり、足が痛くないのに、わざと足を引きずって見せたりするトリック。

メストリ・パスチーニャ:マーニャ。マリーシア。口が食べるすべてのもの。

(つづく)