「相手を思いやりながら自分の実力をアピールできる」。技を直接相手に当てることなく、勝敗も明確につけないジョーゴ(カポエイラのゲーム)の特徴から私が考えたキャッチフレーズです。これはブラジルから帰国後もチラシの文言に、イベントでの冒頭説明に、メディアの取材を受けた時のつかみにと、いろいろアレンジを加えて使ってきました。

メストリ・ジョアン・ピケーノは言います。「相手がよけられないときは足にブレーキをかけるのじゃ。蹴りたくなかったから蹴らなかったというのは、見てる人には分かるじゃろう」。見てる人はちゃんと見てる。仮に見ていないとしてもそれはそれでいいじゃないか。このゆとり感が私は好きです。

「カポエイラは微笑みながら戦うアートだ」。メストリ・アナンジ・ダス・アレイアスが言うとこうなります。これも素敵ですね。ちなみにメストリ・アナンジは、日本で言えば岩波新書のようなポケット版の人気シリーズで『カポエイラとは何か?』という本を書いた人です。初版は1983年で、書店に行ってもカポエイラ関係の本がほぼまったくなかった当時、この本は一般のブラジル人のカポエイラ・イメージ形成にとても大きな影響力を持ちました。私が初めてブラジルの地を踏んだ95年は、大きな本屋にはまだ並んでいましたが、その後しばらくして絶版になっています。

話を元に戻します。

私たちが誇りうるカポエイラの魅力、一般的な競技スポーツと比較したときのカポエイラのユニークさは、競争と協調が共存している点にあると思います。「カポエイラではA vs Bと言わず、A com Bと言うのだ」というのは、私はメストリ・カミーザから最初に聞きました。日本語で言えば「A対B」と言わず「AとB」と言うのだ、という意味になります。

comは英語のwithにあたり、「ともに、いっしょに」という意味です。つまりカポエイラのゲームは、相手に対抗、敵対するのではなく、相手といっしょに創りあげるものなのだという考え方が込められています。ポルトガル語が分かる人には、contraでなくcomだと言えば分かりやすいでしょう。英語で言う場合はagainstではなくwithだと言えば分かってもらいやすいと思います。「相手といっしょに」というのがキーワードですから、ましてsem(=without)の考え方、つまり相手と関係なく自分のしたい動きだけを繰り出すというのはカポエイラのエッセンスを台無しにしていることになります。

日本の私たちの暮らしは、常に競争をあおられています。学校で言えば、クラスメートは友人であると同時にライバルです。受験や就職で限られた枠を競うときには、情け無用で相手を蹴落とさなければなりません。ようやく就職したとしても、昇進のスピード、給料の金額、家を買うタイミングと競争は果てしなく続きます。常に他人と比較することでしか自分の価値を見定められない、この慢性的な不安から逃れるのは、とかく「空気」に支配されがちな日本社会で暮らしている以上、なかなか簡単なことではありません。

子供たちのスポーツの世界も例外ではないですね。部活にせよ地域のクラブチームにせよ、あまりに競技化されすぎていて、勝利第一主義に傾いているようです。うちも娘がバスケ、息子がドッジのチームに参加していますが、低学年でも上手な子は上級生を追い抜いてレギュラーになります。実力主義の世界では当然だし、実社会もそうなのですから、スポーツ活動を通じて子供たちは現実のシビアさを学んでいると見れなくはありません。

しかしながらいやでも世の中は競争に満ちているのですから、スポーツ(遊戯)の世界くらいは、勝敗に固執せず、もっとおおらかな気持ちで楽しめればいい気もします。そういう視点から近年注目を集めているのが、ニュースポーツ、スロースポーツと呼ばれる新しい種目たちです。スポーツ吹矢とかマレットゴルフなど、名前くらいは耳にしたことないでしょうか。それらは競争よりも協働に重きをおいた斬新なルールで、子供からお年寄りまで楽しめることを大切にしています。

ある意味カポエイラもこの路線に沿ったものだといえると思います。競争と協調の絶妙なバランス。勝ち負けをはっきりつけず、そもそも試合という形式を取らないカポエイラは、メダルやトロフィーを目指して取り組むスポーツではありません。逆に言えば、競争社会に疲れた人たちのお眼鏡にかなったからこそ、すごい勢いで世界160ヶ国以上に広まっていったのだと言えるでしょう。

相手を思いやりながら自分の実力をアピールできるカポエイラは、ほころびを見せ始めた資本主義社会の、つまりは「競争を降りて、仲良く楽しもうよ」という時代の新しい要請にぴったりマッチしているんですね。(つづく)