「世界で最も完全なカポエイリスタを選ぶ」とうたったカポエイラのトーナメント「レッドブル・パラナゥエー2018」。この週末は会う人ごとに、この話題に花が咲きました。

今サンパウロにいます。ブラジルに来てちょうど1週間がたちました。

久しぶりのブログのネタにもなるなと思っていた矢先、facebookで「今さら聞けない redbull paranauê とは何なのか 」というトークイベントへの招待が届きました。アンゴラ・トーキョーの津波利光さん、前田比呂志さん主催で3月11日に東京で行われます。日本のカポエイラ全体に対する責任感がにじむ、素晴らしいイニシアティブだと思います!日本にいれば飛んでいくんですが、4月5日に帰国なので、残念ながら参加できません・・・。そこでブラジルからできるささやかな貢献として、こっちの様子や私の雑感を報告することで、このイベントについて知らなかった人の予習や当日の議論のたたき台にしていただければと思います。

レッドブル・パラナゥエー2018

レッドブルは、近年コンビニにも出回っている、牛が2頭向かい合ったデザインのあのエナジードリンクのレッドブルです。私も1、2回飲んだことはありましたが、ちょっとウィキで見てみたら、2012年には世界で52億本を売り上げたという巨大企業ですね。もともとこの会社は経営戦略としてスポーツイベントのスポンサー活動に力を入れているようで、それが商品の若者層への浸透につながっているみたいです。

その会社が昨年から目をつけたのがブラジルのカポエイラというわけです。これまで特定のグループやメストリが主催する大会を企業が後援するという形はありましたが、企業自らが主催する形で行われている点が、今回の議論のポイントになると思います。しかもそれが業界トップのオーストリアの企業なので、外国の巨大資本にブラジル文化のカポエイラが乗っ取られてしまうのではという危惧がイベントに反対する人たちの根幹にあるのでしょう。

大会の概要をざっくりいうと、まずはサンパウロ、リオ、サルヴァドール、外国の4つの枠で予選が行われます。出場資格は18歳以上であればグループ、スタイルを問わず誰でも応募できます。2017年に第1回目が開催され、今年は2回目。昨年は男女混合でしたが、2018年から男女別になりました。この地方予選で選出される人数が、サンパウロとリオから1人ずつ、サルヴァドール、外国から2人ずつで、これに前年の優勝者と準優勝者が加わり、合計8人で決勝トーナメントが行われます。Facebookでライブ中継されていたのが、3月3日にサルヴァドールで行われたこの決勝の様子です。

「世界で最も完全なカポエイリスタを選ぶ」とうたっている理由はそのルールにあります。出場選手は、アンゴーラ、ヘジオナウ、コンテンポラニアの3つのリズムすべてにおいて優れている必要があるのです。ステージ上にルーレット(名前はなんとヴォウタ・ド・ムンド!)があって、対戦前に選手が1回ずつ回します。そこで矢印が示したリズムでジョーゴが行われます。なので実際には3つのうち2つだけをすることになります。ただ選手も観客もどのリズムでジョーゴをすることになるのか、その場で知るわけです。アンゴレイロがヘジオナウとコンテンポラニアのリズムで対戦しなくてはならない可能性も当然あります。この辺りのエンタータイメント性はさすがですね。ジョーゴの時間は各リズム40秒間となっています。→ルールの詳細はこちら

誰が判定するのか?審判は各スタイルを代表するメストリたちが務めました。今年はアンゴーラからはメストリ・ジョーゴ・ジ・デントロ、ヘジオナウからはメストリ・ネネウ、コンテンポラニアからはメストリ・パウリーニョ・サビアーが選ばれました。これに名誉審判としてメストリ・スアスナが加わりますが、実際には上記3人のメストリが、選手に付けられた腕章の色の旗を上げて勝敗を決していました。

気になるのは8人のファイナリストですよね?今年は次の人たちでした。
【男子】
Eliel Ramos dos Santos(Invertebrado):サンパウロ
Rodrigo da Conceição(Marimbondo):リオ
Joseph Augusto Ribeiro de Souza(Gugu):外国
Marcelo Bezerra Pereira(Cacique Massaranduba):外国
Nahuel Mingote(Guaxini do Mar):サルヴァドール
Marcus Vinícius Santos de Jesus(Anum):サルヴァドール
Arthur Santos(Fiu):2017年準優勝者
Lucas Dias Ferreira(Ratto):2017年優勝者

【女子】
Aline Cristina de Oliveira Longu:サンパウロ
Priscila dos Santos:リオ
Clara Folatelli:外国
Thaís Federsoni:外国
Jubenice de Oliveira Santos(Babinha):サルヴァドール
Débora Santos de Almeida(Pérolla):サルヴァドール
Michelle Pallano(Bailarina):サルヴァドール
Jailane Graziele(Guerreira Lane):サルヴァドール
※昨年は女子のカテゴリーがなかったので、サルヴァドールから4人選ばれています。来年からはサルヴァドールから2人と今年の優勝、準優勝者が出場権を得ます。

彼らのプロフィールなどはこちら

果たして、優勝したのは男子がGugu、女子がBabinhaでした。Guguはドイツにも拠点があるため外国枠からのエントリーになっていますが、実際にはヘプーブリカ広場やメストリ・アナニアスのホーダの常連で、私も以前から顔見知りのサンパウロのカポエイリスタです。

さて優勝賞金はいくら?実はお金の賞はなく、そのかわりニューヨークのメストリ・ジョアン・グランジのアカデミアで練習に参加できるというのが賞です。それもわずか3日間。さらにせこく感じるのが、その往復の交通費や滞在費、食費はレッドブルが負担するけど、パスポートやビザは自前で用意すること。万が一取得できない場合は、権利を喪失すると言うのですから笑っちゃいます。まるで賞品に車をあげるけど、運転できないなら返して、と言っているようなものじゃないですか?賞については世界のレッドブルらしからぬせこさだと感じました。

何が問題なのか(何も問題でないのか)?

このイベントについては昨年から賛否分かれていろいろ言われてきています。私の身近なところではフェハドゥーラが2017年の5大ニュースのトップにこのイベントを取り上げてましたし、今年もメストリ・コブラ・マンサが「最も完全なカポエイラを選ぶなんていうのは、新たな植民地化だ。FICAは先祖の名に懸けてレッドブル・パラナゥエーに反対する」という声明を出しました。またゲト・カポエイラのメストリ・ジャンは、facebookのライブ配信で、このテーマについて視聴者と意見を交わしていました。

まず賛成意見の大半は、世界的大企業のプロモートによってカポエイラの注目度が高まることに期待しています。いっぽう反対意見は、2つの次元に分かれているように見えます。ひとつは「世界で最も完全なカポエイラを選ぶ」にあたってのルール的な不備、限界を指摘する声、もう一つは「世界で最も完全なカポエイラを選ぶ」ことそのものがナンセンスだ、巨大企業による文化的搾取だというそもそも論的批判です。

まずルール的な不備について、目についたコメントをいくつか挙げてみます。

  • アンゴーラ、ヘジオナウ、コンテンポラニアという3つのスタイルすべてに秀でていることが「最も完全」であることの条件なら、これまでのメストリたちは誰ひとり完全な人はいないことになる。メストリ・ビンバはヘジオナウのみ、メストリ・パスチーニャはアンゴーラのみ。そんなバカな話はない。
  • 審判たちはそれぞれのスタイルの専門家。アンゴーラのメストリがヘジオナウのジョーゴを、コンテンポラニアのメストリがアンゴーラのジョーゴを採点などできるのか?
  • わずか40秒のジョーゴで何が分かるのか?
  • コンテンポラニアを特徴づけるとして採用されたトーキが、どうしてサン・ベント・グランジ・ジ・ヘジオナウなのか?逆にヘジオナウのトーキはどうしてサン・ベント・グランジではなく、バンゲラなのか?

どれも最もな意見ばかりだと思います。

いっぽうでメストリ・コブラ・マンサのようにイベントそのものに反対するという声も少なくありません。彼が「レッドブル・パラナゥエーに関する考察」としてfacebookに流したテキストを要約するとだいたい次のような内容です。→テキスト全文はこちら

  • “私たちの先祖から受け継いだ抵抗のシンボルが、巨大資本によって単なる見世物スポーツにされてしまえば、カポエイラはその抵抗力を失ってしまう。本来は資本主義の矛盾や人種主義と闘うはずなのに、単なる見世物のために競争させられ、それを受け入れることは被抑圧者が抑圧者にすり替わってしまうことに他ならない。
  • ようやくカポエイラが相応の日の目を見る日が来たという人もいるが、先祖が血と汗と涙で獲得していたものを企業にただ表面的に利用されているだけ。
  • いつまでこんなただ楽しむためだけの競争を続ける必要があるのか?他人を楽しませるためだけに、我々どうしが争わされ、もっと大事な社会問題から目をそらされてしまう。
  • カポエイラは他のどんな格闘技とも違う、多面的なアート。現代社会が押し付けてくる小さな箱には収まりきらない。
  • 企業が本当にカポエイラを支援したいなら、社会的、教育的な活動内容を評価したり、そういうグループの子供たちに奨学金を出すような形を取ることもできる。
  • 今こそ私たちが何を求め、次世代に何を残せるのか考えるとき。社会的な搾取に立ち向かうために結束する代わりに、資本主義システムにやすやすとカポエイラを引き渡してしまっているのではないか?”

メストラ・ジャンジャも「レッドブル・パラナゥエーは、カポエイラの先祖の記憶に対する冒とくだ」とする投稿を流し、多くの人がシェアしています。しかしながらメストリ・コブラ・マンサの記事にもメストラ・ジャンジャの投稿にも多くのコメントが寄せられていますが、イベントを支持するコメントにかなりの「いいね」がつくところを見ると、有名なメストリに対して表立って反論はできないけど、誰かが勇気を出して反論すれば、実際にはそれを支持する人も多いという状況が見て取れます。

「世界で最も完全なカポエイリスタ」を選ぶことについて

私はかなり楽観的に見ています。ルールの不完全さを見ても分かる通り、まさか今回優勝したGuguが「自分は世界で最も完全だ」などと思うわけもないですし、周りの私たちにとってもGuguはGugu、私たちと同じいいところも悪いところもあるカポエイリスタに変わりはありません。

逆に聞いてみたいですが、カポエイラの多面的な性格を前にするとき、単に身体能力やジョーゴの技術が優れているだけで「あぁ、あの人は世界で最も完全なカポエイリスタ」だと納得できる人なんているでしょうか?

カポエイラがアートであるなら、芸術に対する評価は常に主観的です。「capoeira é subjetiva」とアンゴラのメストリたちがよく言いますが、この「subjetiva」という単語が「主観的」と訳されます。絵を見ても音楽を聞いても、自分にとっての最高が、ほかの人にとっても最高であるとは限らないわけですよね。中島みゆきと松任谷由実を比べて、どっちが優れているか言えないのと同じです(笑)。正反対の雰囲気で、どっちも最高じゃないですか!それを水彩画と油絵と水墨画を描かせて、すべてに一番上手な人が「世界で最も完全な画家だ」と言われて、みなさんは信じられますか?

しょせんはこのレベルの話だと思います。あるとき、ある人が決めたルールで、ある人が審査した結果、だれだれが最も優れていると評価された。別にその結果を受け入れることで、果たして私たちが失うものがあるでしょうか?時がたてばカポエイラの多様性の中に飲み込まれていく出来事の一つに過ぎないような気がします。

大企業がカポエイラを金もうけのために利用して、ルールにまで口出しするのはけしからんという意見について

ゲトのメストリ・ジャンが2時間のライブ配信の中で10回くらい繰り返していたのが、レッドブルの関心は経済的な利益であって、カポエイラのことを守るのはカポエイリスタだということでした。全く同感です。たとえばレストランは食べ物を提供して、お金を儲けようとします。しかしそこでお客さんが食事をして、栄養をつけ、健康を保ち、自分の目標に向かって頑張ることはできるのでないでしょうか?企業が利益を追求するのは当たり前なわけで、それがただちに100%消費者に対する搾取だということにはならないでしょう。そのためにも私たちカポエイリスタが、自らの信念を確立し、レッドブルが高めてくれた注目度をいい方向へ導けば、どちらもハッピーになれると思います。

またレッドブルがルールを改定したといっても、あくまでもこの大会についてだけです。別にカポエイラ界すべてのルールを支配して、伝統を変えてしまおうというわけではありません。それを言えばかつてメストリ・ビンバやリオのシニョジーニョはリング上で異種格闘技戦を行っていましたし、今日でも連盟や様々なグループが独自のルールを創出してトーナメントを開催しています。しかしそれがカポエイラ全体の儀礼に影響を及ぼした試しはありません。そんなに目くじらを立てなくてもよいのではないかと思います。

有名なメストリたちが参画している事実について

多くのカポエイリスタ、とりわけ伝統を重んじることを自認している人たちは、かつてメストリ・ビンバやパスチーニャが極貧の中で亡くなったことを告発し、近年ではビゴジーニョやジョアン・ピケーノが同様な困窮の中で生涯を終えたことをもって、古いメストリたちを取り巻く環境は全く変わっていないと嘆きます。

しかし同じ人たちが、今回のような巨大企業が支援してくれる機会にメストリたちが参加するのを、お金に目がくらんだとか、カポエイラを売り物にしていると考えるとしたら、なかなか奇妙な心理です。民間企業のお金は資本主義の汚れたお金だからもらうなといえば、ブラジル政府からのお金がきれいなお金といえるでしょうか?

自分が賛同できないイベントに有名なメストリたちが参加するのを見るのは、彼らが企業の活動にお墨付きを与えているように感じられて、なんとなく胸がざわつくのは理解できます。しかしそれはメストリたちのマンジンガに対する信頼のなさであるという発想を持つのは難しいでしょうか?「すごいラッキーなチャンスじゃないですか!」と、私ならメストリたちの背中を押してあげたいです。

Capoeira é tudo que a boca come.

率直に言って個人的には、この手のトーナメントには全く興味ありませんが、これもカポエイラの一つの側面として尊重されるべきだと思います。Capoeira é tudo que a boca come.(カポエイラは口が食べるすべてのものだ)とメストリ・パスチーニャは言いました。多少消化に悪くても、食してお腹を壊さぬよう、日ごろから胃腸を鍛えておきたいところです。むしろこのイベントを見てグループを訪ねてきてくれる人が出てきたときに、そのときこそ自分たちの信じるカポエイラを丁寧に説明してあげられるよう、いまいちど自分とカポエイラの関わりを見直す機会としてとらえてみてはいかがでしょうか?