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ブログ ☆★Roda de Papoeira★☆

カポエイラは団体種目



コントラ・メストリ・シャンダゥンが帰国して1週間たちますが、滞在中「ほとんどのメンバーにbase(土台)がない」というお叱りを受けました。そこであらためて基礎固めを徹底しようということで、ベーシックな動き、楽器や歌の基本中の基本を見直しし始めています。

そこで意識の高い人たちはとっくにしていることですが、メンバー全員に練習ノートをつけることを提案したしだいです。その日にやった練習、2人組みのものなら動きの組み合わせ、気をつけるポイント、歌の歌詞やその意味などを書き留めていくわけですね。ただ漫然と練習しているだけでは、また次のときに動きの順番も思い出せない、同じ歌の歌詞を繰り返しホワイトボードに書かなければいけないということになります。要は「確実に積み重ねていきたい」という学ぶ人の気持ちしだいなのですが、それをサポートする手段として毎回ノートをつけるのはとてもいいと思います。目的は忘れないこと、刻み込んでいくこと、ですね。

ところで先日メンバーの一人がとてもいいことを言っていました。毎回の練習の後、今日は自分のために何を練習したか、グループのために何を練習したかを振り返るのが大事だと思うとのことでした。カポエイラを始めた年月で言えばまだ初心者と見なされる方ですが、この人はカポエイラのエッセンスを理解してきているなと、とても感心させられました。大事なのは後半ですね。いうまでもなく練習のすべては自分のためですが、グループに貢献するという視点で練習の取り組み方を見直してみるのはとても重要です。この視点を持つと、自分の都合で簡単に練習を休むことさえ憚られるようになるでしょう。

あるグループが取り仕切るホーダのよしあしは、そのグループの総合的な力の反映です。バテリアのクオリティー、参加者の表情、ビリンバウのアラーミが切れたときの対処、楽器の交代の仕方などなど、技術的なレベル、儀礼的な知識がすべて問われます。コントラ・メストリ・シャンダゥンが「バテリアはそのグループの名刺だ」というのはこのことです。その意味でカポエイラは「団体種目」なんですね。ポルトガル語では「Capoeira é coletiva.」という言い方をします。120点のずば抜けたカポエイリスタが2、3人いるより、全員が80点のほうが、全体としていいホーダができるのはそのためです。

まだ始めていない人は、明日から練習ノート、ぜひ導入してみませんか。100円の投資のみかえりはプライスレスです!その中で「グループのため」という視点でも練習を振り返ってみてください。

世直しの道具としてのカポエイラ



日本でカポエイラという用語がどのように説明されているか。19の辞書、事典に当たって調べた前田フェルナンドさんの興味深い記事(https://japoeirando.blogspot.com/2019/08/definicao-do-verbete-capoeira-nos.html)を昨日読みました。それによると「格闘技」とするものが最も多く、続いて「ダンス」「格闘技&ダンス」の順に続くそうです。これは日本人一般の、ましてや日本人カポエイリスタのカポエイラに対する見方を反映したものではないとフェルナンドさんも断っていますが、平均的な日本人のカポエイラに対するイメージはよくてこの程度だろうと思います。

私は8つの大学で講師をしているのですが、毎年自己紹介のときに、カポエイラって知ってますかと学生に問いかけます。しかし知っていると手を上げる人はごくわずかで、聞いたことはあるけどどういうものかは分からないという人がチラホラ。まったく聞いたこともないという学生が実に半分以上なんですね。大学1年生でですよ。こんな実情ですから、辞典類に書かれている内容は「正しいもの」として一定の社会的影響力を持つのは確かだろうと思います。

なんかちょっと寂しいですよね。私たちカポエイリスタが味わっている豊かなカポエイラの世界をもう少し正確に世の中に知って欲しいと思うのは私だけでしょうか。しかしそれはひとえに私たちカポエイリスタの責任です。私たちが日ごろからカポエイラと多元的な付き合い方をしていくことが、ゆくゆくは社会のカポエイラに対する見方を変えていくのだと思います。実際それ以外ないですよね。

ところでカポエイラがダンスか格闘技か、あるいはその両方の混ざったものかという見方は、いずれもカポエイラの身体運動としての側面に注目した区分です。逆に言えば日本社会のカポエイラへのまなざしはいまだにそういうモノサシしか持っていないということです。しかしすこし深くカポエイラを修練した人であれば、その関心は精神性のほうへ向かうでしょう。そうなると芸術だ、哲学だ、いやいやコミュニケーション・ツールでもある、という見方が続くのではないでしょうか。しかしながら私が個人的に関心があって、日本のカポエイリスタにも広めたいなぁと考えている視点はもうひとつ先にあります。それはカポエイラの持つ政治性、社会性に注目したときに浮かび上がる「社会変革の手段」という見方です。もっと平たく、世直しの道具と呼んでもいいと思います。

えっ、何を急に、と驚きましたか。おそらく少なくない人たちは「そりゃそうだよね」と同意していただいていると思います。

言うまでもないことですが、社会のすべての問題を解決できるほどカポエイラは万能ではありません。カポエイラが背負う歴史をふまえて得意な分野は、人種的平等とか文化的多様性の尊重といった分野です。しかしながらこの問題はあまりにも根源的であるために、この問題について勉強すれば芋づる式に社会のあらゆる問題が一緒についてきますし、この問題を少しでもいい方向に変えて行ければ、他人を幸せにできるし、自分も幸せになれるという性質を持った問題であります。

たとえばカポエイラを通して次のような問題を考えていくことができます。カポエイラはユネスコの世界遺産に登録されるほど、その価値が国際的に高く評価されるようになったにもかかわらず、どうしてそのオリジナルの担い手たるブラジルの黒人が置かれている状況は劣悪なままなのか。ブラジル国内でも会員が何万人もいる大きなグループのトップがことごとく白人のメストリたちに占められているのはどうしてか。どうして大学のカポエイラ・サークルには白人が多く、ファヴェーラ(スラム街)のグループには黒人が多いのか。

このような問題について知識を増やし、あるべき理想や直面する課題をみんなで話し合ってみることがとても重要です。その中で黒人の子どもたちは自尊感情を高めることができるでしょうし、白人は自らの無意識に潜んでいた偏見を反省するきっかけになるでしょう。私たち日本人は教科書の中のエピソードとしてではなく、敬愛するメストリや仲間たちの顔を思い浮かべながら、自分に関係のある問題として認識できるでしょう。その先にはカポエイラをひとつの「人種(raça)」とした連帯、協働が見えてくるかもしれません。

私たちはカポエイラという地球の反対側の文化について学びながら、最終的にその視線を足下の問題、すなわち女性、朝鮮人、部落、アイヌ民族、LGBT、障がい者といった国内のさまざまなマイノリティー問題に向けることができます。それがカポエイラを社会に活かすことであり、カポエイリスタとしてカポエイラを生きることにつながります。ここに私たちがカポエイラを学ぶ大きな意義を見出せると思います。

ここまで読んで、なんだ、自分はそんな小難しいことのためにカポエイラやってるんじゃないよ、とお考えのみなさん、ご安心を。あなたはひとつも間違ってはいません。ただサッカーとか空手とかピアノとか習字とか、いろいろな習い事、種目のひとつとしてカポエイラの特徴を捉えようという場合、カポエイラはとても多面的で、さまざまな関心を持つ人々の求めに応えられるだけの間口の広さと奥行きの深さを持っているということ。とくにカポエイラが生み出された文脈、そのオリジナルの担い手たちが置かれた現状は非常に政治的で、どういう取り組み方をしても、その政治性から完全に自由にはなれないということは認めないわけにはいかないのです。

たとえば歌っている歌詞を訳してみてください。「Vou dizer ao meu sinho(ご主人様に報告しよう)」「Olha la o nego(あの黒人を見ろ)」、ほら、お分かりでしょう。ポルトガル語がよく分からないというみなさんも、知らないうちにそういう内容を大声で歌っていたんです。皆さんの関心がたとえそこにフォーカスされていないとしても、カポエイラにはあらかじめそういう問題が内蔵されているわけです。ですからたとえバク転ができるようになりたいからカポエイラを始めた人にも、その修練の過程で政治的な問題を考えるさまざまな糸口が自然に提供されているんですね。

キリがないので、最初の話に戻ります。日本の辞書のカポエイラの説明に、ダンス、格闘技以外の多様な説明を加えさせるのは私たちカポエイリスタの責任です。この先5年後、10年後の説明がより豊かなものになっていますように。祈るだけでなく、動いていきましょう!

公園でホーダができないのは是か非か?



先日(8月18日)名古屋市の鶴舞公園でホーダを行っていたところ、通報があったということで公園管理の職員の方が来られて、ホーダを中止するよう求められました。そのあとに音楽関係のイベントもあるとのことで、音を出されては困るという事情も理解できます。さいわいキロンボ(私たちの道場)は電車で一駅のところでしたので、楽器をたたんですぐさま移動しましたが、東京や金沢など遠方からお越しいただいていた方々には、バタバタでホーダの時間がずれ込んでしまいたいへんご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんでした。

ところで私の心に引っかかっているのは、公園の公共性の問題です。公園が市民の憩いの場だとするなら、私たちもその「市民」に含まれるはずですが、問題は、あの広大な鶴舞公園でカポエイラをすることが他の利用者にとってどの程度迷惑をかける行為かということです。おそらくうちのメンバーにも、とにかく音を出すホーダは騒音で迷惑だから差し控えるべきだという遠慮深い人たちが多いだろうと思います。

おそらく現在の日本社会では、警察や自治体が、一部の人たちのクレーム、通報を聞き入れ、禁止に禁止を重ねていった結果、誰も文句を言う人のいない状況を「公共性が確保されている」と考えるようになっていると思われます。事実どの公園に行っても「ボール投げ禁止」「音出し禁止」「スケボー禁止」「花火禁止」「花見禁止」「フェンス上るの禁止」と、禁止の貼り紙があふれています。どれも公園でできなければどこでしたらいいの、と聞きたくなるようなものばかりです。本来は多くの人たちが利用できる場であるはずの公園が、ほとんど何もできない場所になってしまっているのが現状です。

そこで思い出されるのは2週間前にニュースになった、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の一件です。従軍慰安婦を表現した少女像や昭和天皇の肖像写真を燃やした展示に対して多くのクレームが寄せられ、なかには「ガソリン缶を持ってお邪魔する」という脅迫まであり、治安を維持しかねるという理由から愛知県の大村知事は展示を中止にしました。巷では「表現の自由がテロに屈した」とか「電話で文化を潰す悪しき事例を作ってしまった」という、表現の自由 vs 行政介入が問題となっています。

その一連の議論の中に税金を使っているのだから思想的に偏った展示をすることは許されないというものがありました。私の立場は、考えに賛成、対処の仕方に反対です。今回の場合は、いわゆる左翼が喜ぶ思想表現に偏っていたのが問題であって、結果として展示そのものが中止にさせられてしまいましたが、理想的には右翼の支持する表現も並べて、展示を決行するべきでした。これまでさまざまな規制により展示が認められなかった表現たちに発表の場を与えること自体には大いなる意義があると思います。

このトリエンナーレの話を、今回のホーダ追い出され問題に私が重ね合わせて考えるのは、税金を使っているから大多数の人が不快に感じるなら即中止というのはまったく反対で、公金を使っているからこそ少数意見や多様性が保障されてしかるべきだという視点が本筋だろうと思うからです。つまり公園の利用をめぐる公共性も、住宅地では到底許容されないカギカッコ付きの「迷惑行為」を、お互い多少は我慢しあって認めあおうよという場こそ本来の公園であるべきだと思います。

不快に思う人が一人でもいたら軒並み禁止にしていくことが果たして住みよい社会を築くのかどうか。快・不快、迷惑の度合いは人それぞれですから、それを徹底していけば、最終的には誰にとっても息詰まる世の中にするだけのような気がしてなりません。

さきほど鶴舞公園を管理する名古屋市緑化センターに問い合わせたところ、一本でもクレームの電話があったら原則中止をお願いすることになるという説明でした。通報した者勝ちというのが現代の日本社会のようです。余談ですが今年からうちの子供たちが通う小学校のマラソン大会が中止になりました。理由は、子どもたちの走るコースの安全を確保するために一時的に交通を規制することに地域の住民がクレームしたからだと聞いています。こういう時代を生きているんですね・・・。

さよなら2代目「カポエイラ入門」

ジオシティーズという無料でホームページを作れるサイトを利用して開設してきた2代目「カポエイラ入門」が、あと2日で消滅します。ジオシティーズの閉鎖に伴って、そこで開設されていたすべてのコンテンツが見られなくなるとのことです。これまで18年間にわたって日本中のカポエイリスタの皆さんにお世話になってきました。改めて見直してみると2000年からの懐かしい写真などもあったりして、これまでの、あっという間のようで長いこれまでの歩みに私自身も感慨深い気持ちを抱きました。長らくのご愛顧ありがとうございました。最後にひと目という方は、こちらです。http://www.geocities.jp/vadiacao/

ホーダで欺くためには練習を偽ってはならない

「ホーダで欺くためには練習を偽ってはならない」(メストリ・ヘネ)
Temos que ser verdadeiros no treino para poder mentir na roda.Mestre Renê.

私の大好きなフレーズのひとつです。毎回の練習で胸に刻んで臨みます。

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